中日文学中惯用语和歇后语的翻译

更新时间:2024-03-21 作者:用户投稿原创标记本站原创 点赞:8658 浏览:33466

摘 要:翻译是原语作品有一个文化领域向另一个文化领域转移,并把原作中的具有普遍性的一面传达给目标读者的过程.随着中日交流的深入,文学作品的互译也频繁地开展.本文通过由竹中伸,立间祥介,中山高志翻译的《骆驼祥子》的三个译本的对比对照,比较,分析,研究其中对惯用语和歇后语的把握进而探讨中国文学的日译问题.

关 键 词:惯用语歇后语老舍骆驼祥子翻译

一、歇后语的翻译

歇后语是一种特殊的语言表达形式,歇后语大体上由两部分构成,前一部分运用比喻的形式,相当于谜底,后一部分表达真正的含义,相当于谜面.

1“你可倒好肉包子打狗,一去不回头啊”她的嗓门很高,和平日在车厂与车夫们吵嘴时一样.

竹中伸(P144)

「くだったわねえ.お前さんはまるで玉みたように厂

をび出したっきりさっぱりをせないのねえ.」

彼女の声は非常に大きく、平素厂で荒くれ夫どもに用事をいいつけるときと同じような子だった.

立祥介(P132)

「おまえもいいなもんだよ.でてったきり、知らんぷりとはねえ.」

夫たちとやりあうときと同の甲高い声でそれだけ言うと同に...

中山高志(P129

「いいなもんだね.’肉包子’(肉まん)を犬にぶっつけたように、まるでってこないじゃないかね」

声の子は非常に高く、日で夫らとわめき合うときとわりなかったが....

“肉包子打狗,一去不回头”意为得到好处后有去无回,原文中指祥子尝到了甜头后就消失了,是虎妞责备祥子的话语.从三个上文中三个译者的翻译我们可以看出,三个人用了不同的翻译方式.竹中伸和立件详介只翻译了有去无会,并没有体现尝到甜头这层含义,在中山高志的翻译中采用了直译的翻译方式,将原文的意思准确的翻译了出来.

2有急等用钱的,有愿意借出去的,周瑜打黄盖,愿打愿挨.

竹中伸(P128)

セッパった急を凌ぐために高利を承知で借りて行く.それは丁度周瑜が黄を殴ったのと同じで、一方は殴りたいから殴ったので、一方は喜んで殴られていたのだ.それと同じことだというのである.

立祥介(P119)

急の金に困っている人があればこそ、こちらもしてやるのであって、周瑜が黄を打したようなもの(苦肉の策.『三国』の故事)、武士は相身互いじゃないか、と.

中山高志(P116)

大急ぎに金がいる人があり、またしてやろうという人があれば、周瑜が黄を打って大芝居をやったのと同じことで、渡りに船じゃないか.

「周瑜打黄盖,愿打愿挨」歇后语出现在《三国演义》第46的故事.是中国特有的故事,对于日本读者来说很陌生很难理解.竹中伸将其翻译为周瑜が黄を殴ったのと同じで、一方は殴りたいから殴ったので、一方は喜んで殴られていたのだ.虽然将歇后语里的故事做了大概的解释性翻译,但是对日本读者来说,没有阅读过《三国演义》的人是很难理解故事的来龙去脉的,这样就很难真正理解歇后语的真正含义的.在立间详介和中山高志的译文中,都将歇后语的前半部分直译了出来,而对歇后语的后半部分采用了意译的方式,译为「武士は相身互い」和「渡りに船」.这样用日本原有文化来代替原文难以理解的特有文化,对于异国读者来说可以更加容易理解和接受.

3看祥子没动静,高妈真想俏皮他一顿,可是一想他的正直劲儿,又不大好意思了:“你真行.‘小胡同赶猪――直来直去’;也好.”

竹中伸(P135)

彼が正直一途の一克者であることを想うと、それもの毒なようながして、

「お前さんは本当に石を敲いて渡る人だからね.まあ、それも好いだろうよ.」

立祥介(P124)

祥子がなにも言わないので、高は皮肉のひとつも言ってやろうかと思ったが、一途な彼の性格を思うと、それもかわいそうに思った.

「いよ、あんたは.ばか正直にやるだけのことをやってみるのも、またいいだろうさ.」

中山高志(P121)

祥子がてこでこもかないのをて、高は本でちょっとからかってみってやろうと思ったが、彼の真正直さを考えてこれもすまぬことだと思い直した.「お前は本当にえらいよ.石部金吉式もだ.」

「小胡同赶猪――直来直去」的中文意思指人没有城府,心里有什么说什么,直进直出.竹中伸将其译为「石を敲いて渡る」,日文意思为敲着石板过河,深一层的含义为做事极为谨慎,不敢有半点马虎,这和原文的意思相差甚远,可以说是误译.在立祥介的译文中将「小胡同赶猪――直来直去」翻译为ばか正直にやるだけのことをやってみる,采用了意译的方式,可是翻译出歇后语的后半部分“直来直去”虽然能够让读者们理解原文的意思,可原文所蕴含的文化内涵译者却没翻译出来.中山高志将原文译为「石部金吉式」.石部金吉式是日本人众所周知的人物,「石部金吉式」在现实生活中代表一根筋,性格直来直去不会变通的人.这和原文的意思很是符合,同时也在形式上符合原译文,是最佳的译文.

4“他必审问我,我给他个徐庶入曹营――一语不发’.”

竹中伸(P151)

するとさんいて、五月く相手はだとするだろうが、妾ゃわざとって泣いていて一言も答えない.

立祥介(P139)

そうすりゃ、相手はだれだってことになるけどあたしは知らぬ存ぜぬでおしとおす.

中山高志((135)

さんきっと根掘り掘りき出そうとするにまっている.あたしは徐庶が曹操の所にれてこられたときのように一言も言わない.『二十九)

徐庶是《三国演义》中在第三十六回登场的人物,是蜀国刘备的参谋.可是因为他的母亲被魏国的曹操所挟持做了人质的原因,他不得不去了曹操的阵营.虽然他入了曹营,可是他依然洁身自好,保持自己的操守,从没有为曹操献过一计.从上述历史故事中我们可以知道“徐庶入曹营――一语不发”的含义是徐庶虽然进入曹营,可是从来没献过计策.

在三个日译本中,竹中伸的翻译对原文的修改过多,几乎看不到原文的影子,立祥介使用了意译的方法,只翻译了歇后语后面的部分.中山高志采用了直译的方法,将原文都翻译了出来,并在译文的后面对历史故事加了注解,让读者既明白了文中歇后语的含义,同时保存了原文特有的文化.

二、俗语的翻译

文学作品中经常会出现特有的文化用语,翻译者不但要将文化用语的含义翻译出来,还要将文化用语所包含的文化内涵向异国读者传达出来,才能算是好的译文.人类共通的很多东西都能在俗语中体现出来.虽然文化不尽相同,可俗语能反应人类活动普遍性的一个侧面.汉语和日语也都不例外.如果日语中存在和汉语相同含义的俗语,翻译起来就会很简单.可是,如果在日语中没有对应意思的俗语,翻译起来就很难.而且在中国土生土长的俗语比日语的俗语要多的多.

以下通过对《骆驼祥子》三个译本中俗语的翻译进行分析.

1、但是他毕竟是乡下人,不像城里人那样听见风便是雨.

竹中伸

然し彼は流石に田で、都会人のようにをけば直ぐに雨を予知するだけのカンを持ち合わせなかった.(P24)

立祥介

悲しかなやはり田者で、町方の人のようにはがまわらなかった.(P23)

中山高志

しかし、所彼は田者で、都会人のようにの具合で雨を知るほど明ではなかった.(P30)

俗语和我们平时的用于相比,具有相对的稳定性,比书面语更加精炼,生动.

「听见风便是雨」的意思为刚听到一点儿风声,就当要下雨了.形容听到一点风声就竭力附和渲染.还可以用来比喻那些一听到什么事就跟着咋呼,没有个人主见,人云亦云,本来没多严重的事说的特邪呼的这类.竹中伸和中山高志将「听见风便是雨」译为「をけば直ぐに雨を予知する」和「の具合で雨を知る」.他们的翻译保留了「、雨」,这些形象的翻译更加贴近自然贴近生活,可以引起读者的联想和共鸣,同时将俗语中文化内涵传达为了读者.立祥介将“听见风便是雨”译为「がまわらなかった」.「がまわらなかった」的意思对什么都不漠不关心.所以可以看出立祥介的翻译是误译.

2、跳到黄河里也洗不清.

竹中伸(P212)

仕であるなしに拘らず嫌疑者は先ず彼だということになる.

立祥介(P193)

死んでも濡れ衣をはらすことができなくなってしまう.

中山高志(P184)

彼への疑いは黄河にびんでも清められないのだ.

“跳到黄河里也洗不清”是比喻很难摆脱干系,避免嫌疑的意思.是中国特有的惯用语.中山高志采用了直译的翻译方法将原文译为「黄河にびんでも清められない」,这种翻译方式将中国特有文化正确的传达给了读者.竹中伸采用了意译的翻译方式,这对日本读者来说更加容易理解原文,但却放弃了原文化.立祥介的译文既体现了原文化,同时准确的传达了艳雯的意思,是最完美的翻译.

3、过了这村便没有这店

竹中伸(P178)

そうだ、人至るところ青山だ.

立祥介(P163)

あとで悔やんだって追いつかないのだ.

中山高志(157)

ここをぎたらあとはもう一面の砂漠だ.

牛次(P209)

この村を通りすぎたら、もうこれだけの宿屋はない.

あたらチャンスを逃げしたら、もう二度とめぐりあえない.


4六十九岁的人了,反倒聪明一世,胡一时,叫一群猴儿王八给吃了.

竹中伸(P245)

六十九年酸い甘いもみ分けて来たこのおれ、山猿どもに寄ってたかって食い物にされてたまるかってんだ.

立祥介(P223)

おれともあろう者が、六十九にもなって、あんな犬畜生どもになめられたなんて、られたざまじゃねえや...

中山高志(P211)

六十九の今日まで一生利口で通ってきたのに、この期に及んでぼけってしまって猿どもに食われてしまった.

牛次(P267)

かねて明で通ってきた者が、思いがけないドを踏む.

法にものり.

从例文3,4来看、中山高志采用了意义的方法.“过了这便村没有这店”有机会必须抓住,一旦失去,决不再来.正所谓“机不可失,时不再来”的意思.中山高志将其译为「ここをぎたらあとはもう一面の砂漠だ」,正确的将原文生动的再现.同样,例文4的「聪明一世,胡一时」出自明冯梦龙《警世通言》卷三:“如今且说一个人,古来第一聪明的,他聪明了一世,懂在一时.留下花锦缎般一段话文,传与后生小子.”意思是聪明一辈子,临时却糊涂起来.指一向聪明的人,偶尔在某件事上犯糊涂.常用来怪人办了不该办的事.中山高志用意译的方式将其准确的翻译了出来.

例文3竹中伸将其翻译成「人至るところ青山」.「人至るところ青山」是人间到处有青山,和原文的意思相差甚远.同样对例文4「聪明一世,胡一时」译为「酸い甘いもみ分けて来た」和原文的意思也有一定的差距.

立祥介将例文3翻译为「あとで悔やんだって追いつかないのだ」,只是翻译出原文的一部分,是片面的翻译.将「聪明一世,胡一时」译为「かねて明で通ってきた者が、思いがけないドを踏む」也是同样.

5、刘四爷的眼里不揉沙子.

竹中伸(P242)

立祥介(220)

方の目はたしかなものだった.意

中山高志(P208)

四の目をごまかそうなんていうことはとんでもないことだ.

「眼里不揉沙子」出自《红楼梦》第六九回:“奶奶宽洪大量,我却眼里揉不下沙子去.”比喻容不得人.竹中伸在译文中将这个俗语的翻译省略了,造成了文化的缺失.立祥介将其翻译为「たしかなもの」采用了意译的方式,但是文化的影子一点也看不到.中山高志用形象的翻译将沙子翻译成了芝麻,让日本读者更容易理解的同时,生动的传达了异文化.

6、见两方面都不肯让步,那么,清官难断家务事,有机会便溜了吧.

竹中伸(P254)

双方ともくまでしないとすれば事面倒となること必定、これは、さわらぬ神に崇りなしで、一刻も早くこのからずらかるに限る.

立祥介(P231)

それだけ言って双方は一もあとへひこうとしないところが、いやはや家族内のいざこざは面倒なものでなどとこまかしてひきさがろうという考えだった.

中山高志(P218)

みんなもそのうちに方とも一もらないのをて、これで子の喧に立ち入らぬと考え、この上をてそろっとってしまうのが上策でと考えだした.

「清官难断家务事」出自明冯梦龙《喻世明言》第十卷:“常言道清官难断家事.我如今管你母子一生衣食充足,你也休做十分大望.”意思是家庭中的事情繁琐复杂,清官也无法判明是非.竹中伸将其译为「さわらぬ神に崇りなし」.「さわらぬ神に崇りなし」用日文原有的俗语进行了翻译,让日本读者更容易理解.立祥介和中山高志运用了直译的形式,同时准确的传达了原文的含义,完美的体现了原文的含义和文化.

本论对老舍的《骆驼祥子》的三个日译本中的俗语和歇后语的翻译进行了对比分析,的出这样的结论:在具有中国古典历史人物的俗语或歇后语中,一般采取意译的方式.对于中国人特有的思考方式的俗语,要考虑日本人收容情况进行翻译.还有翻译者对原文的误译,是译者对原文的派生意义的结果.